- 2007-04-26 (木) 12:56
- ブロンプトンで中山道を行く
2006/4/21(fri) 16:05~17:10
【板橋宿】
板橋宿には午後4時に到着した。板橋宿は下宿、仲宿、上宿からなっていて、現在では長い長い商店街が形成されている。
「板橋」というのはもちろん東京23区のひとつなのだが、その起源は仲宿と上宿を隔てる石神井川にかかる橋の名前とされている。これが板の橋であったので、「板橋」となった、と。
しかし、当時はすべて木の橋だったはずで、わざわざ「板」の橋という名前にするものだろうか。
板橋区役所ホームページの「区名のゆらい」には
『延慶本平家物語』という軍記によると、治承4年(1180)に挙兵した源頼朝が、「武蔵国豊島ノ上滝野川ノ板橋」に布陣しています。ここに地名としての「板橋」が初めて現れ、少なくともこの資料が成立したとみられる鎌倉時代には「板橋」の地名があったことがわかります。
慶長8年(1603)、徳川家康によって江戸に幕府が開かれると、日本橋を起点とする五街道が整備されました。そのうちの一つ、中山道の第一番目の宿場が「板橋(下板橋)」に置かれ、大都市江戸の出入り口として、また区域周辺の中心的な場として繁栄しました。
と書かれており、鎌倉時代以前から「板橋」の地名があったようである。
ちなみに現在の「板橋」は木の橋を模したコンクリート橋である。
【奇妙な電燈】
その板橋の標柱のとなりに妙なものをみつけた。
ユスリカ対策の道具というものなのだが、どうみても夏休みの自由研究工作にしかみえない。
果たしてどれくらいユスリカ対策になっているのだろう、と思い、中をのぞいてみたが、まったく虫が捕まっている様子はなかった。
誘蛾燈のようなもので、やはり悪戯としてはビニール部分に穴をあけるくらいだろうか。いい大人がそんなことはしないが。
小中学生が、これを自由研究工作でやって、しかも実践調査までまとめることができれば、どこかで入選できそうな気がする。
【清水坂】
板橋宿を抜けると、本蓮沼駅の手前で国道17号線に合流し、そのまま志村坂上にいたる。
志村坂上の駅を過ぎると、国道は一直線に坂を下っていくのだが、旧道は左斜めにはいっていく。ほどなく、曲がりくねった急坂となる。これが清水坂だ。
清水坂は旧中山道で日本橋を出てからはじめての難所だったそうである。なんということもない坂に見えるが、牛馬には厳しかったのか、道幅が狭く通行しにくかったのか。
といっても、日本橋から進んできてはじめて旧道の感じがするところである。この坂を下ると、都会から郊外へ場面を変える。まずは倉庫地帯になるのがなんともであるが。
【戸田橋】
国道17号線にまた合流し、一路北を目指す。
清水坂から2kmほどで右手から新幹線の線路が近づいてきて、戸田橋である。ここには戦後まで渡し舟があったそうであるが、もちろん現存せず、橋を渡る。
このときはじめて戸田橋まで走ったのだが、この半年後くらいから毎週のように戸田橋を眺めることになるとは、このときは思いもしなかった。
これを渡れば埼玉県である。
Comments:0
Trackback+Pingback:0
- TrackBack URL for this entry
- http://www.katsuhirano.com/home/archives/301.html/trackback
- Listed below are links to weblogs that reference
- ブロンプトンで中山道を行く(2) 板橋宿→蕨宿 from katsuhirano.com